沖縄本島南部・糸満市に眠る、もうひとつの沖縄戦の記憶
沖縄本島の南部、糸満市字伊敷。国道331号線から一本奥へ入った鬱蒼としたジャングルのような小道の先に、ぽっかりと地表が陥没した巨大な穴が現れます。これが「轟壕(とどろきごう)」、地元では「トドロンガマ」とも呼ばれる戦争遺跡です。琉球石灰岩が長い年月をかけて浸食されてできた自然の陥没地形「ドリーネ」で、深さ約10m、直径約30mというスケールは、初めて訪れる人を圧倒します。この巨大な穴の底に、全長約100mにも及ぶ鍾乳洞の入口があり、内部には川まで流れているというから驚きです。単なる自然の造形美としてだけでなく、この場所は沖縄戦において極めて重要な、そして悲痛な歴史を刻んだ「記憶の場所」なのです。
戦禍の中の軍民雑居——1,000人がひしめいた地下空間
轟壕はもともと、地元・伊敷集落の住民たちが避難壕として整備し、日常的に使用していた場所でした。しかし沖縄戦が激化し、首里の戦線が崩壊すると、日本陸軍第32軍の敗残兵たちが次々とこの壕へ流れ込みます。最大時にはなんと1,000人以上もの避難民と兵士がひしめき合う、凄惨な軍民雑居状態となりました。武器を持つ兵士たちは壕内の比較的乾燥した安全な区画を占拠し、先に避難していた住民や県庁職員たちは、川が流れる劣悪な湿地帯へと追いやられていったといいます。極限状態の中での人間関係の縮図が、この暗い洞窟の中に凝縮されていました。
「沖縄県庁最後の地」——島田叡知事、最後の決断
轟壕を語る上で欠かせないのが、当時の沖縄県知事・島田叡(しまだあきら)氏の存在です。1945年6月5日、島田知事をはじめとする県庁職員幹部、警察幹部らがこの壕に避難してきました。そして同年6月15日、島田知事はこの壕の中で、部下たちに最後の行動の自由を与えるため、沖縄県庁および警察部の解散を宣言します。これにより轟壕は「沖縄県庁最後の地」として、今も深く記憶されているのです。その後、島田知事は6月26日頃、摩文仁の軍司令部壕へと旅立ったとされ、以降消息を絶ちました。組織としての「県庁」が最後の意思を示した場所——それが、この糸満の静かな森の奥に今も静かに眠っています。
米軍の猛攻、そして奇跡の生還——約600人の投降劇
1945年6月18日頃から、米軍による包囲と攻撃が本格化します。ガソリンや黄燐弾が壕内に投げ込まれる中、皮肉にも日本兵たちは住民の脱出や投降を許しませんでした。しかし6月24日、すでに捕虜となっていた元沖縄県職員・伊芸氏らの命がけの説得により、日本兵の監視をかいくぐって約600人もの住民が壕を脱出し、米軍に投降します。凄惨を極めた沖縄戦南部戦線の中で、これほど多くの命が救われた事例は極めて稀であり、轟壕は「奇跡の生還の地」としても語り継がれています。
現在の轟壕——立入禁止と360度バーチャルツアー
長い年月による自然風化の影響で、近年は壕内での落石・落盤が相次ぎ、安全確保が困難と判断されたため、現在は轟壕内部への立ち入りが全面的に禁止されています。かつては年間数万人規模の修学旅行生が平和学習で訪れていましたが、実地でのガイド案内も現在は中止となっています。しかし、糸満市はこの貴重な戦跡を未来へ残すため、最新のデジタル技術を活用し、壕内部の映像撮影と3D測量を実施。2025年3月31日より「轟壕360度バーチャルツアー」として、糸満市公式サイト等で一般公開が始まりました。パソコンやスマートフォンから、天井高のある内部空間、壕内を流れる川、戦時中の痕跡までを克明に、まるでその場にいるかのように体験できます。訪問前・訪問後にぜひチェックしておきたいコンテンツです。
地上からの見どころ——厳粛なドリーネの風景
内部への立ち入りはできませんが、地上からでも轟壕の持つ独特の空気感は十分に感じることができます。国道からのアプローチは鬱蒼とした木々に覆われた細い道で、その先に突然、地表がぽっかりと開けたドリーネが姿を現します。底へと続く急な階段や、いくつかのガマの入口を上部から見下ろす体験は、写真映えする絶景というより、深い畏敬の念を抱かせる特異な空間です。階段の途中や地上部分には慰霊碑や祭壇が静かに祀られており、多くの人がここで手を合わせていきます。観光気分ではなく、平和への祈りを胸に訪れたい場所です。
アクセス方法・駐車場情報
所在地は〒901-0363 沖縄県糸満市字伊敷。那覇空港から車で約30分、国道331号線(名城バイパス)沿いの南部病院から南東へ約600mほど入った場所にあります。真栄里集落の手前、信号のない交差点を海側(西側)へ曲がった森の入り口が入口ですが、観光地のような案内看板は一切設置されていないため、カーナビやGPSアプリへの事前登録は必須です。沖縄本島は路線バスだけでは周りにくいエリアも多いため、
を利用して自由に周るのがおすすめです。公共交通機関を利用する場合は、糸満市の予約制コミュニティバス「いとちゃんmini」で「M-7 伊敷」バス停下車となります。駐車場は一般観光用に整備されたものはなく、石段横の未舗装の坂を上がった先にごくわずかな駐車スペースがあるのみ。トイレや売店もないため、事前の準備をお忘れなく。
訪問時の注意点
まず何よりも、壕の入口の柵を越えて内部へ立ち入ることは絶対に禁止です。落石・落盤の危険があり、命に関わります。また周辺は薄暗い草むらとなっており、沖縄特有の猛毒蛇「ハブ」が生息しています。立ち入り制限により草木が荒れているため遭遇リスクも高まっており、遊歩道や階段以外の場所には絶対に立ち入らないでください。ドリーネ底へ降りる石段は湿気と湧き水の影響で常に濡れており、泥や苔で非常に滑りやすいため、歩きやすいスニーカーでの訪問が必須です。雨天時・雨の翌日の訪問はできるだけ避けましょう。そして最も大切なことは、ここが多くの尊い命が犠牲になった慰霊の場であるという事実です。心霊スポット的な興味本位での訪問や、大声で騒ぐ行為、ゴミのポイ捨てなどは固く禁じられています。静かに手を合わせ、敬意を持って向き合う姿勢を忘れないでください。
旅の締めくくりに——沖縄本島南部の宿でゆったりと
轟壕をはじめとする沖縄本島南部の戦跡巡りは、心に深く残る特別な時間になるはずです。糸満市周辺や南部エリアには、沖縄の穏やかな海を望むリゾートホテルから、地元の空気を感じられる宿まで様々な宿泊施設が揃っています。平和学習の旅の後は、ゆったりと過ごせる宿で心を落ち着け、旅の記憶を静かに反芻する時間もぜひ大切にしてください。
まとめ
轟壕は、沖縄戦という悲惨な歴史の記憶を今に伝える、かけがえのない戦争遺跡です。内部への立ち入りはできなくなったものの、360度バーチャルツアーという新しい形でその記憶に触れることができ、地上からも感じられる厳粛な空気は変わらずそこにあります。沖縄本島を訪れる際は、美しい海やグルメだけでなく、こうした戦跡にも足を運び、平和の尊さについて静かに思いを馳せる時間を作ってみてはいかがでしょうか。


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